問題は「何をするか!?」というところには無い。

最近、よく頭の中にことあるごとに何度も出てくる単語がある。

「形骸化」

「形骸化」を辞書で調べてみる・・・誕生・成立当時の意義や内容が失われたり忘れられたりして,形ばかりのものになってしまうこと。

同じようなことを表す言葉に「初心忘れるべからず」という日本語もあるね。

どちらにも共通するのが「何故それをやるのか!?」の意志が抜け落ちて、魂を失った状態になるってこと。

この3次元物質世界は、形あるものが幅をきかせて、「想い」や「心」が随分とないがしろにされているのが実情。
そして、その「想い」や「心」が無いところでも、「形」だけは簡単にやれるのがこの世界。
でも、そもそも何でも例外なく、全ての始まりは、何か目的や、理由や、意義や意欲や、意志や心があって、それらを表現する手段としてなんだかの形として現れてくる。
ところがいつしか、はじめのそういう「想い」を薄れて、失っていっても、形だけはいつまでもやろうと思えばやれてしまう。それがこの世界で、そういう「魂」を失った「形」が、あまりにもはびこっている。まさに「形骸化」の巣窟。

朝が来たから起きる。寝る時間になったから眠くなくても寝る。
月曜日になったから何も考えず満員電車に乗り込む。
食事の時間になったから、お腹も減っていないけどご飯を食べる・・・・・

そんなごく日常的なことから、社会的な大きなことまで、大小様々の「形骸化」が溢れている。しかし「意味」を失った「形」は、命を失っている。「何故それをやるのか」を忘れた行動は、すでに血が通っていない。

「霊主体従」それがこの世界の本来のしくみ。初めに「霊」、つまり「心」や「想い」があり、あとからそれにふさわしい「体」つまり「形」がついてくる。
ところが今のこの世界はとかく「体主霊従」になっていて、「形」ばかりが先行して「心」があまりにもおざなり状態。

大切なのは「何をやるか!?」ではなく、「何故それをやるのか!」だ。

もっというと、「何をして生きるか!?」が問題なのではい。
「どんな精神状態、どんな意識状態で生きているか!?」だ。

健全なる精神の元には、健全なる生活が表現される。それはしごく当然のこと。

自らの日常も、意識していないと、いとも簡単に形骸化を引き起こす。その目的を失った結果、意欲が湧き出なくなったまま屍のように日々を過ごすこととなる。

最近全ての日常に起こることに対し、都度都度自らに問いかけ、再確認して過ごすことをやりはじめた。
「何故それをやるのか!?」

心を取り戻す。
精神を宿す。
柱を立てる。

重要なのは「何をするか!?」ではなく、「どういう精神状態で生きるか!?」だ。
それを最近よく考える。
たいして中身の詰まっていない脳みそで(笑)

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