駄洒落を軽んじるべからず

文化として、ダジャレというものがあまり根付いていない関西で生まれ育った僕は、これまで駄洒落というものを軽くみてきた。
ダジャレはオヤジが使うもので、あまり面白くもなく、どちらかと言うと軽視してきたと思う。

ところが、最近、あることがきっかけで、駄洒落というものを、メッチャ見直すこととなった。
見直すどころか、駄洒落ってスッゴイじゃーーーーん!!と、はっきり言って今ではかなり絶賛している。

そのあることとは、ある時、仕事をしながら考えていた時に、字は違えど、同じ音を持つ言葉は、同じ思念を持つことに気づいた。
思念とは、想念ともとれ、言魂であり、簡単に言うと、意味である。
つまり同じ意味を有している。

それが、駄洒落には、面白いほど、正に同じ思念(意味)が込められているのが見えたとき、正にこれは「カタカムナ」そのものであることに気がついた。
「カタカムナ」とは、古代日本にて栄えた文明であり、カタカムナ語は、高度に宇宙法則を理解したカタカムナ人が用いた、宇宙の原理をヒビキと文字に表したもので、ここ木の花ファミリーでも一年以上前からとても大切にしているもの。

そうして、駄洒落にカタカムナ的要素がガッツリ含まれていることが見えてきた時に、「これはスゴイ!!」と思い、そうするとドンドン発想としてダジャレが思い浮かぶようになってきた。
そうしているときに、いっしょにダジャレの可能性を話していた「まっちゃん」が「お笑い=お祓い」であることが分かった。

「笑」という字は何を表してるんやろ??と思って調べてみると、これは、巫女さんが両手を手に向けて上げ、舞い踊る様子の象形文字であるというだそうだ。

(以下その時の会話)
「そうなんや!! それって神事やん!」
「笑いって、神事なんや!」
「ハッ! お笑い(おわらい)は、お祓い(おはらい)なんや」
「うぉーーーーーー!!   スゲーーーーーーーー!!!」
「確かに笑いのあるところに、邪気なんて寄り付かんよなー」
「っていうか、笑ってたら邪気なんて逃げ失せるでー」
「大笑い(おおわらい)は大祓い(おおはらい)なんや!」
「マジやーーーー!! スッゲーーーー!!」

とまあ、笑いというものに対する見方も超上がって、目からウロコの気づきになった。
に合わせて、ダジャレには、カタカムナ的要素も持ちつつ、笑いまであり、つまりお祓いの要素まであるってことが分かって、ただのオヤジギャグだと思っていたのから、メチャクチャ見直すこととなったのでした。

でもね、マジな話、面白いほど同じ思念を持つのが見えてくると、その意味がグッと高まるんです。
その言葉の持つ深みが増してくるんです。

分かるかな・・・・・!?
この感動を一体どこまで感じてもらえているのか疑問ではありますが、とにかく、ダジャレは決して軽んじるものではなかったというのが結論であります。

てなことで、最近はチョコチョコ駄洒落を言うオイラであります(笑)
まぁ勿論それも親父化してきていることも影響しているんやろうけど(笑)

じゃ、今日はこの辺で。
次回以降、それにまつわることも徐々に書いてみようかと思います。
バイチャヽ(*´∀`)ノ

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