ただひたすらに「みたま磨き」

 

最近は、なんだか淡々とした日々。

以前は今と比べて、随分と上がり下がりが大きかったように感じる。感情とか心の在りようとか、そういったものだけどね。自分という存在の外側に起こる出来事や、とりまく人々の言動により「自分」という存在が、あっちへ振られこっちへ振られしていた。

時に喜び、時に苦しみ、時には心配事で心が堅くなり、時には怒り、時には感謝で心が震え・・・。

そんな生活からは、色々と学びを得ることも多かったけど、とにかく大きな振れ幅を持ちながらの日々だった。それがここへきて、一月か二月ぐらい前からなのかな、随分と振れ幅が小さくて、安定しているともいえるし、淡々とあまり変り映えの無い日々ともいえる。

誰しもその人その人固有のパターンというものをもっている。そしてそれは実は自分ではあまり認識できていないのが事実。僕自身、自分のことは自分自身が誰より分かっていると思っていたけど、実は、「自分の常識は、他人にとっての非常識」であって、自分では持っているパターンが当たり前すぎて、それを自分の習慣・クセと認識できておらず、逆に他人が見て、それがクセと初めて認識できるものであることが往々にしてある。

当然僕も固有のパターンを持っていて、他人と比べてより多くそういったものを抱えて生きてきた。そしてそれが日々の生活の中で頭をもたげてきても、出てきた瞬間はそのパターンに認識できないが故、出たらそのままそれがドンドンと膨らみ続けていく。あたかも、初めは小さな雪だるまであっても、坂道を転げ落ちるうちに、ドンドンと大きく成長していくかのように。そして、気付いたときにはどうしようもないほど肥大化して、自分自身にも回りの者達にもなにか爽やかでないものをもたらしてしまったりする。

ところが、そのパターンを自らの中に持ち続けていたとして、それが何かのタイミングでパッと頭をもたげてきても、その瞬間「あっ! また出た!」というふうに、出てきた自らのパターン・クセにすぐ気が付くことが出来たなら、雪だるまが大きくなることなく、その瞬間フラットな状態に修正することが出来る。すると、上へ行って舞い上がることも無ければ、落ち込んでエネルギーを枯らすことも無なくなる。

そうなるためには、先ず絶対に必要なことは「己を知る」ってこと。

自分がどのようなパターンを持っていて、どのような癖を持っていてということを、しっかりとしっかりと、しっかりとしっかりと認識するってことが先ず必要。「しっかり」とを4回も繰り返したのにはワケがあります(笑) これが全てのはじまりになるのであって、それ無しには一歩も先へ進めないからです。絶対必要条件です。

まさに「はじめの一歩」ですね(笑)

僕自身、この数ヶ月で、それまで気付けなかった自らの癖・パターンに少しずつみんなの力を借りて知る事ができだしたが故、それが出てきてもすぐに気が付き、すぐ修正するってことがようやく少しずつ出来出したかなってところです。

「ただひたすらに己を見つめ続ける生活」です^^

何か「想い」が出てきても、その想いがどのような心が背景にあって出てきたのかを、静かに振り返るってことの繰り返しです。そうすると、いつも自分が持つ同じパターンがそこには出現するのですね(笑)。複雑なようで、我々人間ってのは、根っこに行けば単純な特定パターンしかないのかもしれませんね。

ただ、それをやり続けて代わり映えも無く単調な日々ですが、事あるごとに最近は凄く「流れ」がいいのですね。日々の作業などの中で、狙っても無いのに「あら ピッタリ」「あら、またピッタリ!」「あらあらこんなにもいいタイミングで!!」みたいなことがビックリするほど、それも「こんなにあっていいんだろうか!?」と思えるほどに起こってくる。

「己を知る」

「己を見つめる」

「己が出た事に気付く」

ただコレだけのことの反芻です。

そんな日々です。

でも今はこれでいいような気がしてます。

また何か気付くことがあったら、新たな境地に踏み込んでいけばいいだけのこと。

こんなに穏やかな毎日を過ごさせていただけることに感謝申し上げます。

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hirocchi について

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